個人的助っ人外国人通信簿(伊原・田辺監督編)

前回に引き続き、個人的助っ人通信簿第2弾でございます。まだそちらを見てない方は是非ご覧ください。

13年で6年続いた渡辺政権から伊原監督へと交代。しかし、価値観の問題で史上初のシーズン監督途中交代、田辺監督代行から15年に正式に田辺監督へと変わりましたが、14年から3年連続のBクラス。ライオンズ暗黒時代となってしまいました。

果たしてこの時代はどんな助っ人外国人が来たのでしょうか‥?

 

コーディ・ランサム 2014〜2014途中

右投げ右打ち 内野手 評価D

来ました。暗黒時代の象徴の選手。ライオンズファンなら、いや他球団のファンでもあの応援歌を歌える方はいらっしゃるのではないでしょうか?笑

13年オフ、契約がまとまらず退団したヘルマン選手の代わりの選手がこのランサム選手。

噂で聞いたのは、球団は大活躍のヘルマン選手に対してそこまで評価をしておらず、スピードよりパワーのある選手が欲しい。と言うな事を聞いた覚えがある(定かではないが)

正直、オープン戦を観てて不安な事があった。

バッティングフォームが前年度在籍したスピリー選手に似てる‥。フォームはともかく活躍さえしてくれれば良いのだが、案の定率は残せず、ホームランもわずか2本のみ。後に出る当時の高卒ルーキー森選手が6本かっ飛ばしたと言うのに‥。

さらに元々定評のあった守備でもやらかしが多く、打撃不振も重なり二軍落ち。7月にウェーバー公示となった。元々ヤンキースでプレーしてたというので高いプライドも邪魔してたという話もあったらしい。

2014年のオールスターがたまたま現メットライフドームだった為、選ばれてないのにあの応援歌を歌ったのは伝説。

 

マイケル・ボウデン 2014

右投げ右打ち 投手 評価C

入団時にディカプリオ似のイケメンと話題になったリリーフタイプの助っ人。

来日当初は20代後半と油の乗った時期で、日本での大化けが期待された。

ストレートがそこそこ速かったぐらいしか記憶がなく、オフに退団。正直、素人目から見て球速の割にノビが感じられなかった。

1イニングで2回ボークをやらかす珍事もあったらしい。

 

退団後に観光して楽しんでたのをツイッターでつぶやいてたらしい。 

リリーフ要因で獲得してきたのに何故か一度だけ先発をやらされてた。

 

グレッグ・レイノルズ 2014

右投げ右打ち 投手 評価C

昨シーズン3Aで12勝を挙げて、先発ローテ入りが期待された投手。2mを越す身長から、速球ではなく多彩な変化球と正確なコントロールで打たせて取るタイプの投手だった。

元ドラフト1位で当時の西武にはいないタイプだったので僕もこの投手には期待をした。

開幕3戦目の楽天戦で6回3失点で敗戦投手も、まずまず試合は作った印象。しかし、先発しても打線の援護がなかったり、自分で自滅したり、挙げ句の果てには伊原監督から酷評されたりと、とにかく不安も重なった投手。

3勝7敗と期待された程の成績は残せず、1年で退団となった。この辺りからライオンズの助っ人投手は1年で退団する選手が多くなってきた印象がある。

 

エルネスト・メヒア 2014途中〜2020現在在籍

右投げ右打ち 内野手 評価S

14年の数少ない希望の1つ。それがメヒア選手の加入と活躍だった。深刻な打撃陣のテコ入れとして緊急獲得。阪神も最後まで狙っていた選手だという。

来日初出場の日ハム戦。当時テレビで日ハムファンの弟と観ていたのだが、初打席でいきなりのホームラン。ド派手なデビューを飾ると、途中入団ながらハイペースでホームランを量産していき、気付いたらチームメイトの中村選手とともに34本でホームラン王を獲得。まさにメシア(救世主)の大活躍だった。

同一球団で2人のホームラン王は史上初らしく、途中入団選手、さらに背番号が最も大きい選手でのホームラン王と記録づくめとなった。

15年は自身の体重管理不足でやや成績を落とすが、16年は月間MVP受賞やオールスター初出場など復活。

17年の後半から同じファーストの山川選手がレギュラーで出場するようになってから、ベンチを温める機会が増えたが、腐らずプレーする姿が印象的だった。

現在は代打や指名打者が主なメインとなっているが、ここぞでの集中力は流石の一言。2回優勝のビール掛けに参加して、美酒を味わった選手。

14年ごろの高めを強引にスタンドに叩き込む、あの豪快なホームラン、今年も期待したいと思う。

 

ウェイド・ルブラン 2015〜2015途中

左投げ左打ち 投手 評価C

メジャーでローテーションの柱として活躍した大きなカーブやチェンジアップを武器とする、テクノカットもみ上げの軟投派左腕。日本初の出演がYOUは何しに日本へ?という事も話題になった。

来日初登板の楽天戦を観に行ったのだが、6回1失点と勝ち投手も、四球、悪送球や暴投が多く、正直危なっかしいピッチングだと感じた。

やはり軟投派なので、変化球が決まらない時はスローボール投手の宿命か、被本塁打がやや多く、当時ルーキーのロッテ中村選手に多く打たれてた印象があった。

高い年俸の割に、途中から先発ローテを外されてしまった事もありCランクとさせていただく。

 

エスメルリング・バスケス 2015〜2016

右投げ右打ち 投手 評価C

先発中継ぎ抑えどのポジションでもこなせる評価を受けて入団したバスケス投手。

ライオンズでは中継ぎで2年間プレー。ロングリリーフも出来るタフさには助けられたが、ピッチングとしては特に決め球がなく、器用貧乏の様な投手だった。

四球が多かった印象があり、特に現楽天石井GMからツイッターで酷評されたのが未だに記憶がある。

 

ミゲル・メヒア 2015

右投げ右打ち 投手 評価D

投げる方のメヒアとして話題になった抑え候補。

正直不安しかなかった。理由は2つあり、1つ目は台湾リーグのセーブ王という事。申し訳ないがレベルがかなり低いリーグセーブ王と言われても‥。もう1つは過去に日ハムのテストに不合格だった事。優良中継ぎを発掘イメージのある日ハムのテストに不合格‥。

案の定、高橋朋己投手とのクローザー争いに敗れ開幕二軍。一軍登板は僅か4試合で戦力外となった。

素人の僕から見てもわかるほど、クイックが遅く、球質が軽いストレートだった。

 

アンソニー・セラテリ 2015

右投げ両打ち 内野手・外野手 評価D

祖母が日本人の日系アメリカ人。高校時代はボウリング部、野球をしながら映像制作を行うなど異色すぎる経歴の持ち主。

タイプとしてはかつてのヘルマン選手の様な、俊足巧打の選手で、ヘルマン選手から打力と走力を差し引いて、守れるポジションが多くなったといった感じだった。

結果は、一軍出場33試合で打率1割台、ホームラン0で、一年で戦力外となった。

この年は最後までライトが決まらない年だったから、是非ライトのポジションを獲得して欲しかった。

 

郭俊麟 2015〜2019

右投げ右打ち 投手 評価C

台湾の大学卒業後に、初のプロ野球西武ライオンズという金の卵。大学在学中に多くの台湾代表にも選ばれており、当初は高橋光成投手と共に、実質ドラフト1位が2人入ってきた様な感覚だった。

育成目的も兼ねての獲得だったとは思うが、開幕3戦目で初勝利を果たし、新人王候補とも言われたが、後半戦で失速、3勝7敗と負け越してしまう。

16年は中継ぎでプレーもロッテ戦で清田選手に頭部死球を当てて以来、壊し屋のイメージがついてしまった。

17年は登板なしでいよいよ立場は危うくなってきたが、18年はソフトバンクとの天王山で先発を任され、9月に2は年ぶりの白星と大事な試合で結果を残したものの、19年は2試合の登板に留まり戦力外となってしまった。

未来のエース候補として僕も非常に期待したが、結果としては物足りないものとなってしまった。

 

アンディ・バンヘッケン 2016〜2016途中

左投げ左打ち 投手 評価D

2016年シーズンは個人的に広島・日ハム以外は助っ人外国人に苦しんだイメージがあったが、西武ライオンズも例外ではなく、投手に苦しんだシーズンだった。

2016年シーズンの目玉補強だったバンヘッケン投手は、韓国リーグでかつて20勝をあげて、4年連続二桁勝利の実績を引っさげ先発候補として、約1億4000万円で加入。

15年に同じ韓国リーグからのバンデンハーク投手が活躍し、ライオンズが珍しく大金をはたいて獲得した選手だった為、僕も二桁勝利を大いに期待した。

オープン戦も角度のある直球と揺れるフォークを武器に結果を残し、開幕ローテ入り。

しかし、開幕してからは韓国時代の実績とは程遠いピッチングが続きまさかの0勝。オールスター前にウェーバー公示され、退団となった。

高い年俸、実績豊富、オープン戦でのピッチングで非常に期待しただけあって、期待を裏切れた選手だった。

 

フェリペ・ポーリーノ 2016途中〜2016

右投げ右打ち 投手 評価D

先発陣のローテ不足、バンヘッケン投手の不振で緊急獲得した投手。

結果としては、途中入団ながら6敗を喫し、1勝もあげられなかった。助っ人で勝てない流れに、火に油を注ぐ形となってしまった。

体重が120キロ以上で背番号が珍しい4番だった事ぐらいしか記憶にない。

 

C.C.リー 2016

右投げ右打ち 投手 評価C−

炭谷選手と顔が似てるサイドスローの台湾人メジャーリーガー。メジャーの経験やWBCにも選ばれており実績のあるリリーフとして期待はした投手。

開幕戦で4番手で登板して無失点デビュー。勢いのあるストレートでイケるじゃん!とは最初は思ったが、その後はサイド特有の左打者が苦手というのもの加え、制球難によって打たれたり、自滅したりする試合が増え、田辺監督らに酷評されてしまった。

その後シーズンオフに退団となった。

 

ブライアン・ウルフ 2016途中〜2018

右投げ右打ち 投手 評価A

バンヘッケン、ポーリーノ両投手が期待ハズレの為、さらに緊急補強されたウルフ投手。

かつて日ハムやソフトバンクでプレーしたが、ソフトバンク時代の怪我の影響が不安視された。

しかし、怪我の影響は無く、移籍後は8月に待望の外国人白星を挙げて、4試合で4戦4勝。

翌17年はシーズン頭から先発ローテとして9勝、チーム3年ぶりのAクラス入りに貢献。

18年も4勝あげ、優勝に貢献して現役引退。

自慢のツーシームでゴロを打たせ、3年間で17勝をあげたウルフ投手は、16年に救世主として現れ、翌年以降のAクラス浮上のキッカケを作ってくれた頼れるベテラン投手だった。

 

ちなみに、ウルフ投手抜きで16年の助っ人外国人投手

(バンヘッケン、ポーリーノ、郭、バスケス、リー)

5人合わせて0勝13敗、、。あの温厚な田辺監督も投手不足で「いねぇんだよ」とキレた事もあり、どれだけこの年外国人投手で苦戦したか分かる。

 

はい、というわけで伊原・田辺監督時代の外国人選手を振り返ってみました。

西武ファンの私としてはこの3年間は確かに助っ人にも恵まれなかったな〜とは思うシーズンでしたね。

 

伊原監督時代はレイノルズ投手が酷評されたり、田辺監督時代は外国人投手に苦戦されたり、色んな意味で外国人に泣かされた場面も多かったですね。

 

次でいよいよラストとなりますが、ついに優勝へと導く辻監督時代になります。

どんな外国人選手が来たのか、そしてどんな起用法をしたのかは次のブログでお会いしましょう。

 

p.s.

この3年間は辛かったなあ(遠い目)

15年の助っ人みたいに話題性がある選手は活躍しない説