個人的助っ人外国人通信簿(渡辺監督編)

プロ野球でチームが優勝する上で欠かせない戦略の一つ「外国人選手の補強」。19年はニール投手が12勝と大活躍してくれて、リーグ優勝に大きく貢献してくれました。

3連覇を狙う20年度、ライオンズはスパンジェンバーグ選手、ノリン投手、ギャレット投手の3選手を獲得。

 

他球団に目を移すと、オリックスがアダムジョーンズ選手、巨人がパーラ選手、阪神がボーア選手と大物外国人選手を次々と獲得。

 

しかし、外国人選手というものは開幕してみなければ活躍するか分かりません。

かつて星野監督も「外国人選手は宝くじを買うようなもの」と仰っていました。

 

ライオンズの新助っ人3人は、実績や期待値はジョーンズ選手やパーラ選手には劣るものの、日本で大活躍をしてくれる可能性も充分にあります。

 

そこで昨年で丁度ファン歴10年の僕が、これまでの助っ人外国人選手の簡単な評価をしたいと思います。

 

長くなるんで、渡辺監督編、伊原・田辺監督編、辻監督編の3回に分けます

 

ルール

・あくまで僕の個人的な感想とさせていただきます。

・チームへの貢献度は勿論、チームに馴染んでいたか、ファンに愛されていたか、年俸に見合った活躍をしてくれたかなど独断で決めさせていただきます。

グラマン、許両投手は僕がファンになる前から在籍していた為、この2人は僕がファンになった10年からの活躍で決めさせて頂きます。

・評価はSを最高として

S タイトルホルダー、複数年渡って安定した成績、国の代表レベル

A 一軍バリバリレギュラークラス

B 平均的な活躍

C 期待値ほど活躍はなかった

D 全く通用しなかった外れ外人

× 1軍でプレーしてなく、評価不可能

 

ディー・ブラウン 2010〜2011途中

右投げ左打ち 外野手 評価 B

・中軸を担う期待をされた左の強打者。1年目は21本のホームランを放ち期待された長打力でチームに貢献。しかし、本人の調子や、球団によって得意不得意があった為、ややムラがあった選手。

2年目も開幕スタメンも、不振で2軍落ち。その後ウェーバーで退団となりました。

1年目のホームランを打った時のエアギターのパフォーマンスがノリノリで良かった。

 

ブライアン・シコースキー 2010〜2011途中 2013

右投げ右打ち 投手 評価A

日本の多くの球団でプレーし、経験豊富なリリーフ右腕。ライオンズ移籍1年目は抑えを任され、多少打たれる事は多かったものの33セーブで初のセーブ王を獲得。これだけでもSランクを付けたかったが、11年、復帰した13年は全く活躍出来なかった為Aとさせていただく。

マウンドで腕をグルグル回すパフォーマンスでも人気だった。

 

ミンチェ(許銘傑) 2000〜2011

右投げ右打ち 投手 評価(10.11年のみ)A

2000年に来日し、シュートとスライダーの横の揺さぶりで勝負するタイプの投手。

僕が見たのは2年間のみでしたが、10年度は主に先発ローテとして、11年度は最初は先発、のちにセットアッパーに回るなど、どこでも投げられる万能型だった。

特にセットアッパーの11年度は防御率1.98と安定感を誇り、西武の苦しい中継ぎを支えてくれた投手。

しかし、オフにFA宣言。まさかの形でお別れは、外国人史上初のFAでオリックスに移籍。その後13年までプレーし、台湾に戻った。

派手さは無いものの縁の下の力持ち的な存在で、今は2軍コーチとしてチームを支えている。

 

アレックス・グラマン 2006〜2011

左投げ左打ち 投手 評価(10.11年のみ)D

08年にクローザーとして、日本一の胴上げ投手となったこのグラマン投手。しかし、怪我の影響でその後は思うような活躍が出来ず、10年にT岡田選手にグランドスラムを放たれるなど、大事な所でのリリーフ失敗が目立った。

11年もこれといった活躍が出来ず退団となった。08年までなら確実にSランクの選手だった。

 

ホセ・フェルナンデス 2004〜2005、2010途中〜2011

右投げ右打ち 内野手 評価(10.11年のみ)S

フェルナンデス選手は2回入団してる為、第2次の時とさせていただきます。

10年、チームの主砲中村選手の怪我で緊急獲得したのがフェルナンデス選手。加入すると、57試合ながら3割越え、11本と活躍、三振もわずか26個しかなかった。

11年も主に5番DHでレギュラー。打率は下がったもののチャンスに強く、特にCSの日ハム戦で榊原投手から放った値千金の決勝タイムリーが忘れなれない。

DHのベストナインを獲得も、オフに楽天に移籍しました。

 

ライアン・マルハーン 2011途中〜2011

右投げ右打ち 外野手 評価D

投手陣崩壊、チームも最下位に沈み、低迷してたライオンズの起爆剤となって欲しいと期待されたのがこのマルハーン選手。

初出場のソフトバンク戦で、岩崎投手から初打席初本塁打を放ち、期待されるも、目立ったのはこの一本のみ。そのままオフに退団。

ちなみに24番が永久欠番になる前に最後につけた選手。

 

エンリケ・ゴンザレス 2012

右投げ右打ち 投手 評価D

12年に加入した、後に紹介する3人+途中加入のオーティズ選手は個人的に当たりだと思ったけど、唯一の外れがこのゴンザレス投手。

11年オフ彼含む3人がテストを受け、ゴンザレス投手のみが合格。

ルーキーながら抑えを任された牧田投手が先発復帰の為、抑えを期待された。

開幕2戦目の日ハム戦のセーブシチュエーションで初登板。しかし、田中賢介選手にサヨナラ打と戦慄なデビューを飾る。その後も不安定な投球を繰り返し、オリックス戦で今度はバルディリス選手にサヨナラホームランを打たれ2軍行き。その間に抑えが涌井投手に変わり、ゴンザレス投手はなぜか先発として一軍に復帰。

当時、ライオンズファンの友達から「またやらかしたぞ〜」ってメールが来てしまった笑笑

奇跡的に楽天田中将大投手に投げ勝つなど、あったもののオフに戦力外。

結果論だが、あの時の合格を出してしまった‥、だとしてもゴンザレス投手が抑えとして機能していれば優勝も出来た‥、たらればはいけないがそう思いたくなる選手だった。

 

ランディ・ウィリアムス 2012〜2014

左投げ左打ち 投手 評価A+

個人的にはSをつけたい選手なのだが、タイトルホルダーではなかった為、特例でA+とさせて頂く。来日当初はコントロールに苦しみ2軍降格も、上がって来てからは以降3年間頼れるセットアッパーとして活躍。角度があり、強いストレートと大きなカーブを武器に驚異の奪三振率を誇った。特に当時全盛期だった糸井選手にめっぽう強く、三振に抑えると普段寡黙なウィリアムス投手がマウンド上で吠える姿がとてもかっこよかった。

14年に少し成績も落とし退団となったものの、この3年間で彼の貢献度は数字以上に大きかった。正直ウィリアムス退団の記事を読んだ時はショックで、その後ライオンズは外国人投手に苦しむ事になるとはこの時はまだ知らなかった。 

 

エステバン・ヘルマン 2012〜2013

右投げ右打ち 内野手 評価S

助っ人外国人のイメージとしてはパワーがあり、クリーンアップを打てて、守るとしてもファーストやレフトなどのイメージがあると思うしかし、このヘルマン選手は俊足好打でどこでも守れるというちょっと変わったタイプの助っ人だった。

開幕は1番センターとしてプレー。その後セカンドやサードを守り、打順も3番、5番、6番、7番などを経験し、その後サードで固定。

俊足でリーグ2位の41盗塁、勝利打点13を記録し俊足と勝負強さを併せ持つ選手として活躍。

これが評価され13年もライオンズでプレー。開幕は5番サードで先発出場、その後打線の再編成が行われ、俊足が最も活きる1番打者として起用。2年目の13年は選球眼、得点圏打率が向上、特に出塁率がリーグトップでタイトル獲得。打率も3割を記録し、盗塁数も2年連続40盗塁を記録し理想的な1番バッターとして大活躍。

俊足好打のユーティリティ、チャンスに強く、おまけに怪我とは無縁で2年連続フル出場。オフに是非とも契約更新をして欲しいと思ったが交渉が難航し自由契約となった。

その後来た選手が伝説のあの応援歌の人とは‥。

 

クリス・カーター 2012、2013途中〜2013

左投げ左打ち 内野手 評価C

日本ではあまり活躍は出来なかったが、僕が一番大好きな外国人助っ人。この選手に関しては私情を挟みながら話したい。

まずこのカーター選手は医者家系に産まれ、世界で2番目に頭のいいスタンフォード大学飛び級で卒業。その後医学ではなく、メジャーリーガーとしてプレー後にライオンズへと入団。

しかし、元々の膝の怪我があり二軍スタート。昇格してからも膝の影響でDHか代打要員。それでも、与えられた役割をきっちり果たし、ベンチから仲間を鼓舞する姿は、まさに青い目の応援団長。

また、カーター選手といえば大統領の演説が忘れられない。主将栗山選手が戦線離脱し、チームも連敗の中、カーター選手のスピーチでチームが重い空気を追い払ったのだ。これは是非検索して見てもらいたい。

さらに僕は、カーター選手と握手と写真を撮ってもらった。片言の英語しか出来ない僕の話も、秀才の野球選手なのに真摯に聞いてくれて、写真も快く応じてくれて、その日の試合で活躍する。もう当時の僕はカーター選手の虜になった。

エリートでありながら、熱血漢のある、僕のヒーローだったカーター選手は残念ながら12年で退団。13年途中に奇跡の復帰を果たすも、結果を残せず再び退団。その後引退をされた。

18年の優勝争い、優勝が決まった瞬間のツイッターでの喜びの動画を見ると、今でもライオンズが大好きなのが伝わる。

どうかまた、西武ドームで再び再会出来る事を願っている。

 

ホセ・オーティズ 2012途中〜2013途中

右投げ右打ち 内野手 評価B

2010年と同様、主砲中村選手が離脱。長打力不足に悩むチームに加入したのがこのオーティズ選手。

パリーグの3球団でかつてプレーし、経験豊富な彼は途中入団ながらチーム3位のホームラン数を記録。相手投手の利き腕に合わせ、カーター選手との併用が続いたが、後半からは5番ファーストでレギュラーとしてプレー。

13年もライオンズに残り、中村選手のリハビリ、中島選手のメジャー移籍の影響で開幕4番を任される。しかし、前年度の活躍が出来ず不振に喘ぎ、シーズン途中で解雇となってしまった。

 

ライアン・スピリー 2013

右投げ右打ち 外野手 評価C

先述の中村選手がリハビリの為、長期離脱。中島選手がメジャー移籍の為、4番候補として加入したのがスピリー選手。

名前が某映画監督に似てる、背番号が野村克也さん以来の19と開幕前から話題性はあった選手。

確実性と強肩を併せ持つ中距離ヒッターという触れ込みで入団したものの、正直「4番がいない状態でパワーより中距離ヒッター?」とは思ってしまった。

開幕は外国人枠で二軍スタート。その後一軍で4番ライトでプレーするのだが、特にこれといった活躍は無かった。

思い出として残ってるのは、楽天戦でリリーフが左の長谷部投手を投入したので秋山選手に代打スピリー選手。帯広での決勝タイムリー。そして登場曲がきゃりーぱみゅぱみゅの「ファッションモンスター」だった事。

打撃でモンスター級の活躍をして欲しかった選手。

 

デニス・サファテ 2013

右投げ右打ち 投手  評価A -

広島で名を挙げ、現在のソフトバンクで神がかり的な活躍を見せたサファテ投手が実は1年だけライオンズに在籍してたのはご存知だろうか?

4年後にMVPを獲得するサファテ投手だが、ライオンズでの成績は平凡なものだった。

ライオンズでのプレーの時は球は確かに速かったのだが、痛打されているイメージがあった。

開幕戦の日ハム戦で中田選手にタイムリー、楽天枡田選手に、自分が覚えている中で、2本ホームランを打たれた記憶がある。

それでもセットアッパーとクローザーとして防御率1点台は流石。

打たれるイメージがあったとはいえ、逃してはいけない選手だった。

余談だが、ロッテ戦で炭谷選手とサインが合わず、ストレートなのにカーブを投げて喉に当たってしまって、ずっとマウンド上で祈るサファテ投手があまりにも有名なシーンとなった。

 

アニェエル・メンドーサ 2013〜2013途中

右投げ右打ち 投手 評価×

アブナー・アブレイユ 2013〜2014

右投げ右打ち 外野手 評価D

最後に、おそらくライオンズ史上初の育成助っ人2人をまとめて紹介。

メンドーサ投手は速球と頭脳的なピッチング、アブレイユ選手はかつて福留選手のトレード相手にもなった経験のある、身体能力が高いプレーが持ち味の選手。

全く情報がなかったメンドーサ投手は怪我と乱調に苦しみ、シーズン途中で解雇。

対してアブレイユ選手は13年好調だったが支配下ならず、14年に支配下登録。ヤクルト戦でお立ち台に立つなど活躍したが、シーズンオフに契約を解除。その後高知を経て巨人に入団。

 

いかがでしたでしょうか?個人的ライオンズ助っ人通信簿渡辺監督編。

当たりから外れから幅広くいて、僕も懐かしい気持ちになりました。

では次の伊原・田辺監督編でまた

 

p.s.2013年オフのウィリアムス投手以外の助っ人総入れ替えは辛かったなぁ‥。